在宅医療・在宅看取りを考える講演会と多職種シンポジウム

2019年2月2日(土)印西市文化ホール(千葉県印西市)

 

 

在宅医療を行っている医療機関の調べ方

 

・在宅医療は入院と外来の中間に位置する。在宅医療では処方せんや書類のお渡し、お会計、検査(検体検査、心電図、超音波など)は外来と同様に患者さん宅で出来るが、CT,MRI,血管造影など重装備の検査は出来ない。医療機関にもよるが一時的に食事がとれない時の点滴や各種注射、癌性疼痛に対する医療用麻薬の処方やモルヒネの持続皮下注射、胸水や腹水の穿刺は在宅でも可能。

・訪問看護や薬剤師の服薬指導などは必要に応じて医師から指示が可能である(指示するということは医師が責任を持つということであり、同意や助言とは本当は次元が異なる)。訪問リハビリテーション、訪問介護、訪問入浴、福祉用具貸与などの利用はケアマネジャーに医師から助言が可能である。訪問マッサージの同意書作成も可能である。

・在宅療養支援診療所というものがあり、24時間の電話対応と往診対応が条件だが、関東信越厚生局に届出をするだけで在宅療養支援診療所にはなれる。看取りの実績は問われない(在宅療養支援診療所の半数は看取りの実績がない)。もちろん在宅療養支援診療所でなくても在宅医療や在宅看取りをしてよいし、実際に行われている。

・どの医療機関が在宅医療をどう行っているか、地域の情報を調べるには、例えば印西市の場合は、印西市の「いんざい保健センターだより」「市内の医療機関情報」「印西市 介護と医療サポートガイド」から情報が得られる。また千葉県健康福祉部医療整備課医療指導班が作成している「ちば医療なび」の情報でも在宅看取り数の実績や往診が24時間対応なのかなどがわかる。千葉県が公表しているこのシステムは複雑な検索が可能であり、情報量でも関東の一都六県の中で特に充実している。インターネットをなさらない方は、お子さんやお孫さんに調べてもらうと良い。

・医療機関の「本当の情報」を得るには、まず医療機関の開設者と管理者(院長)を「ちば医療なび」で調べる。開設者とは経営者であり医療機関の経営方針を決めたり人事権をもっている。管理者は実際に診療や医療機関の管理を行うもので、医師でなければならない。開設者と管理者が異なる場合、それぞれを更にグーグル検索で調べれば更に詳しいその医療機関の背景がわかる。開設者である法人や個人が介護施設の経営も行っているかやどんなサイドビジネスをしているかなどもわかるし、院長の専門や経歴なども明らかになる。

・医療機関のホームページには必ず「患者さんに寄り添う」とか「地域に貢献する」などの美辞麗句が並んでいるが、そういうことは当たり前のことであり、あまり参考にはならない。「ちば医療なび」の情報とホームページの内容との相違点や「医療機関のホームページには敢えて載せていないこと」が医療機関の本当の姿を映し出す。またホームページ内に職員募集のページがあったら必ず見たほうがよい。医師・看護師求人のアピールポイントとして「未経験者でも大丈夫」「休みが多くて楽」「外来患者が来ないから快適でアットホームな職場」などと書かれていたら患者の立場としては安心だろうか。そういったところに医療機関の本当の考え方がみえるような気がする。

・「標榜科目」(診療する科目として表示している診療科目)に何を表示するかは医療機関の自由なので(一部、外科+精神科などは同時に標榜することが禁止されている)、内科を標榜していても専門は整形外科だったり泌尿器科だったりする。そのことを理解し、それぞれの診療科は本来は何をするところなのか、その医師は今まで何を専門にやってきたのか、どういった薬の使い方に慣れているのかなどを理解したうえで命を預けることが望ましい。

・在宅医療の実施を医師が躊躇する理由として、スタッフを集めることや入院先を確保すること、24時間の対応をすることなどが困難であるからと言われているが、一番の理由は「患者さんの懐に飛び込むこと」に医師が慣れていないからだと思う。入院病棟や外来ブースに患者さんが入っていくのと、医師が患者さん宅に行くのでは場所における立場が正反対である。医師が患者さん宅に行くということは患者さんの土俵に登ることであり、多くの親戚に囲まれて詰問されたり、帰るに帰れないという状況になること(そういったことは深夜でも起こりうる)に多くの医師は慣れていない。

・在宅医療を効率よく進めるにはLINEのようなインターネットのコラボレーションツール(但しセキュリティがしっかり確保されているもの)を使った非同期コミュニケーション手段による複数の関係者での情報共有が大変有用である。そのような連絡手段を使っている医療機関のほうが患者さんのメリットも大きいと思われる。関係者がみな所属機関の外で仕事をしているのが在宅医療であるから、電話といった強制同期的な手段や一方通行の連絡となってしまうファクスでは効率的な在宅医療介護の連携体制の構築は難しい。

・緊急時にはむしろ積極的に電話をするべきである。しかし24時間体制をとっていてもコールセンターや国家資格のない事務員、アルバイトの看護師などが電話に出る医療機関があり、言葉遣いは丁寧でも深刻な病状も知らず対応が遅れる場合がある。普段から病状を把握している医師が直接電話に出る医療機関のほうが患者さんの満足度は高いと思われる。

 

 

通院困難となる原因としての不適切な認知症診療

 

・認知機能の低下がADL低下、通院困難の原因となり、外来から在宅医療に移行するケースが少なくない。認知症といってもテレビがバラエティ番組で取り上げるような軽度の「物忘れ」の状態ではない。「食事が用意されてもどうしていいかわからない」さらに進んで「食物を口に入れてもどうしていいかわからない(飲み込まない)」という状態に陥ってから通院困難として在宅医療に紹介されるようなケースがみられる。

・こういった状態の悪化は単に認知症が進行して発生するだけでなく、通院困難となる前の段階での認知症診療に問題があって状態が悪化したと思われるケースが多い。認知症診療はまだまだ発展途上であり、抗認知症薬の保険適応もアルツハイマー型認知症、レヴィー小体型認知症に限られている。そのためアルツハイマー型認知症ではないのにアルツハイマー型認知症と保険病名をつけて抗認知症薬を処方したり、アルツハイマー型認知症であってもそれ以上に脳萎縮が進んでいるケースに単なるアルツハイマー型認知症として抗認知症薬を処方しているような状況もみられている。脳血管性認知症や前頭側頭型認知症の周辺症状、意味性認知症への対応や、認知症と似た症状が初発する神経難病への正しい診断、発達障害との関連の検討などが適切になされているとは言い難い。

・そもそも過度の血圧降下、鉄欠乏性貧血や大球性貧血、亜鉛不足が引き起こす味覚障害による食欲低下、ビタミン不足による神経障害、電解質異常、甲状腺機能低下症、また慢性肝障害による肝不全(アンモニア蓄積による肝性脳症)などの代謝性認知障害は、「治療(介入)可能な認知障害」であるにもかかわらず、内科を標榜している医療機関であっても診断されずにアルツハイマー型認知症として投薬が開始されてしまい、再評価もされていないケースが散見される。

・抗認知症薬でも実際には用量依存性とみられる副反応がみられるし、レヴィー小体型認知症や神経難病とされる大脳皮質基底核変性症や進行性核上性麻痺などでは薬剤に過敏なことが多いが、年齢や体重に関係なく薬を増量しなければならないという規定があるため、副反応が無視されたり、副反応に対する薬剤が追加されて更に状態が悪化している例がよくある。状態が悪くなると入院したり死亡したりして元の外来には戻れないので、そういった処方をしていた外来医師へのフィードバック(反省の機会)も無く、同じことが繰り返されているのが現実のようである。

・現在抗認知症薬として認可されている4つの薬剤はアセチルコリン仮説(脳内の神経伝達物質としてアセチルコリンが不足しているため認知症が起きているという仮説)に基づいているが、脳内では神経伝達物質のアセチルコリンとドパミンがバランスをとっているため、アセチルコリンが増えるとドパミンが減ることがある。ドパミンが減ると転倒や傾きなどパーキンソン病の症状(錐体外路症状)が出るため、抗認知症薬の副作用に対してパーキンソン病の治療薬が追加されている場合がある。さらにパーキンソン病治療薬はそれ自体がせん妄などの意識障害を惹起することがあり、認知症そのものが引き起こしているせん妄と区別がつかず、せん妄に対して更に統合失調症に使うような抗精神病薬が追加され、また抗精神病薬のために排尿障害やふらつきなどが起きてくるため今度は排尿障害などの薬が追加されるなど、どんどん薬が増えていくという悪循環に陥っているというケースが散見される。特に認知症の薬とパーキンソン病の薬が同時に処方されている場合にはこのような悪循環に陥っていないか、患者さん自身や家族が注意する必要がある。

・タイムリーなことに2019年1月25日に厚生労働省の有識者検討会が、認知症の治療薬を使用中に幻覚や暴力、めまいなどの副作用が疑われる症状が出た場合は、医師らに薬の使用方法の変更を求めるという方針を決めた。

 

※現在抗認知症薬として認可されている4つの薬とは、アリセプト(一般名ドネペジル)、レミニール、メマリー、イクセロンパッチ(別商品名リバスタッチパッチ)のこと(メマリーはちょっと毛色の異なる薬である)。

※抗認知症薬の増量規定に関する問題は「一般社団法人 抗認知症薬の適量処方を実現する会」のサイトでも多くの事例をみることが出来ます。

 

●74歳男性のケース: 精神科にて脳萎縮、脳虚血性変化、脳器質性精神障害の診断。また近医内科で高血圧症、排尿障害などで加療。精神科でメマリー2.5mgが開始され、のち5mgに増量したところ暴力的となり抗精神病薬を追加、歩行不能となった。立位保持も困難となり家族が当院に相談。大量の抗精神病薬を慎重に減量して仕切り直し。内科で放置されていた treatable dementia(治療可能な認知障害)としての鉄欠乏、葉酸欠乏、亜鉛欠乏に対して介入。2人介助が1人介助となるまで改善したが誤嚥性肺炎を起こして入院し、最終的には入院中に死亡した。

 

→ 前頭葉や側頭葉の萎縮がある場合はたとえ海馬の萎縮(認知症でみられる画像所見)があるとしても安易に抗認知症薬を規定通りに使用すると易怒傾向が強まる。そもそも治療可能な認知障害が内科で治療されていない。また精神科が処方した抗精神病薬が排尿障害の原因ではないかと内科では推論しなければならないのに、単に一般的な排尿障害の薬が内科で追加されただけである。内科と精神科の連携がとれておらず、その時々の対応がばらばらに行われている。この方が通院困難となって在宅医療となったことや入院・死亡したことを、外来で処方していた内科・精神科の医師はおそらく知る由もない。

 

●77歳男性のケース: 不眠があり大学病院で脳血流検査実施、前頭葉機能が落ちていると言われ抗うつ剤を処方された。高血圧で受診していた近医でアルツハイマー型認知症と診断されアリセプト開始、転倒が目立つようになったが規定通りに増量、抑肝散(認知症の周辺症状によく使われる漢方薬)も開始。錐体外路症状が出たためマドパー配合錠(パーキンソン病治療薬)が開始された。その後、メマリー、マドパー、コムタン(これもパーキンソン病治療薬)を追加・増量。その経過で認知機能が悪化して脱水・腎不全となり入院、寝たきりとなり廃用症候群として精神科病院へ転院してリハビリテーションを実施。退院して在宅療養となり当院初診、内服薬を整理(減薬)。経過が不自然なため神経内科にコンサルテーションして進行性核上性麻痺と確認。

 

→ うつ病、アルツハイマー型認知症、パーキンソン病は全て誤診であった。進行性核上性麻痺と診断され公費医療適用となっていたはずであった。

 

●83歳男性のケース: 近医内科に高血圧症、糖尿病で通院。 通院困難となり当院へ紹介。紹介状によれば「痴呆症状が顕著となり別の近医でアリセプトが処方されたが、ふらつきが出たため自己中断した」とのことだったが、のちに娘さんに直接聞いたところでは「刃物を突きつけられ命の危険を感じた」とのこと。小刻み歩行がみられたためネオドパストン(パーキンソン病治療薬)が1日1回で開始されていた(パーキンソン病では症状の日内変動が起こるため病状によっては1日最大6回に分けて内服しなければいけない薬)。その後本人は受診せず薬の処方だけの受診が多かった。その経過で徐々に糖尿病が悪化、また固縮の日内変動が増強(パーキンソン病の悪化)したため通院困難として当院に紹介された。本人は家族からの与薬では薬を飲まないためヘルパーさん頼りであり、デイサービスのある日も日中しか内服するチャンスが無かった。重症なパーキンソン病として、薬剤の分割投与、COMT阻害薬、アマンタジン、ノウリアスト(いずれもパーキンソン病治療薬)を追加。生活動作を何とか維持して血糖値も改善した。

 

→ 本人が外来通院できないための無診察投薬(本人の診察をしないで家族に処方だけ出すこと)は結局は病状を悪化させる。また内服可能なタイミングなど家族も含めた生活パターンがわからなければ適切な薬物治療は難しい。

 

 

「がんと診断されたときからの緩和ケア」が行われていないために広がる悲しみ

 

・緩和ケアの対象には、身体的苦痛(痛みやだるさなど)のほか、精神的苦痛(不安や孤独感など)、社会的苦痛(仕事や経済的な問題など)、スピリチュアルペイン(人生の意味や死の恐怖など)も含まれる。

・平成24年の「がん対策推進基本計画」以降、緩和ケアは「がんと診断されたときから全ての患者に」「医療機関や診療科を問わず全ての医療従事者が」「入院・外来・在宅など診療の場を問わず」提供されることになっているが、現実はスローガンの目標には程遠い状況である。特に、本来は指導的立場であるはずのナショナルセンター(国立系の専門病院)や大学病院の臓器科(緩和ケア科以外のがん治療を行っている科)での「がんと診断されたときからの緩和ケア」の実施内容はあまりにお粗末であると判断せざるを得ない。

・医学部での医学教育では早期癌・進行癌は教えるが、末期がんや在宅医療に関する教育がそもそも乏しい。あるアンケートでは、病院医師に在宅医療の知識がない、医師からの予後の説明が不十分である、と看護師・MSWがみていることが示されている。また別の調査で、在宅医療の経験がない病院医師は予後告知をしないことも示されている。余命を知りたいのに告知されないケースが4割あることを示す調査もある。

・入院や在宅など療養場所を選択することも含め、自己決定の支援には予後の共有が不可欠である。また自己決定支援の過程で当然必要となるのが「がんと診断されたときからの緩和ケア」である。当院への紹介でも「がんと診断されたときからの緩和ケア」の経過が全くなされていなかったり、衰弱して通院困難となるまで化学療法を続けることを十分な情報提供なく患者に選択させ、予後の説明も無しに「在宅医療希望」という自己決定をさせて紹介するという無責任な診療がみられている。

・末期がん(余命6ヶ月以下と定義されている)とわかれば65歳以上でなくても介護保険の2号被保険者(40歳から64歳)となれるのに、予後についての説明が医師から無く介護保険申請の必要性すら誰からも説明されていないケースがある。介護保険の利用といっても末期がんでデイサービスを頻繁に利用するわけではない。必要なのは福祉用具貸与(電動ベッド、車椅子、ポータブルトイレなど)や訪問入浴である。せめて亡くなる前に一度はお風呂に入れてあげたいではないか。病院医師の無理解・不作為が多くの不幸を生んでいる現実がある。

・さらに、予後告知がなされたとしても、それを本人には行わず家族にだけ行う、或いは予後告知を本人に行うかどうかを家族に決めさせるということが日本では普通に行われている。欧米ではあまりみられないこのような状況の良否は別として、こういった習慣が家族の心理的負担になっていることは明らかであり、家族に対しても緩和ケアの視点が必要であるが、それに対する医師の認識や研究は乏しい。そのことを認識したうえで家族は自分が傷つかないような自己防衛の心づもりが必要である。

・つらいことは避けたいし考えたくないものだが、永遠のお別れが突然来て後悔しないために、余命について現実的に推測する必要がある。余命の推測は医師でなくても可能。例えば通常の仕事や業務が困難になれば余命(以下同じ)は78日、ときに介助が必要になれば48日、どんな仕事も困難になれば37日、ほとんど介助となれば24日、食事がかなり減少し全介助となれば13日、食事が数口以下となれば4日、水分すら入らずマウスケアのみとなれば2日というデータがある。

 

●65歳男性(胃癌)のケース: 外来化学療法の実施期間中に仕事を退職。食事量が減少して化学療法を打ち切り。浮腫著明・室内歩行がやっとの状態となり、病院の外来を受診し担当医から「だんだん状態が悪くなっている」「浮腫が原因で死ぬことはない」「あまり点滴は出来ない」とだけ説明された。同日夜に「在宅療養ご希望」とのことで当院に情報提供書がファクスされ、翌日当院から初診往診。血圧が80台に低下しており、超音波検査で左胸水と心嚢液貯留がみられ降圧剤を中止(病院医師からの中止の指示は無かった)。食事がほとんど摂れておらず余命は4日程度と思われたが、初対面でもあり本人・家族には余命1-2週間程度と説明、それでも家族は初めての予後の説明にショックを受けた。その夜に家族で話し合い、田舎の兄弟へも連絡。翌日訪問すると本人から「自宅では無理、明日入院したい」との希望があり、その翌日に紹介元とは別の病院の緩和ケア病棟に入院、入院後7時間で死亡。

 

→ 介護保険の申請はされておりケアマネジャーも決まっていたが、決まっていたケアマネジャーが初回訪問する予定だった日は死亡日の翌日、緩和ケア病棟への入院相談のための外来受診をする予定だった日(当院には何の説明もなく紹介元のがん専門病院が緩和ケア病院に情報提供していた)は死亡日の4日後の予定であり、全ての対応が遅れていた。その原因は化学療法を行っていた病院医師が「末期がんの末期」の病状悪化の早さについて医学的に理解していなかったか、理解していても患者・家族やケアマネジャー、緩和ケア病院に対して不作為であった(死期が近いので急ぐよう説明しなかった)かのどちらかである。

 

・介護保険申請は本人、家族または代理のケアマネジャーしか出来ない。病状が悪化してくると家族もなかなか家から出れなくなるので、介護保険の申請は早めに行ったほうが良い。余命6ヶ月と考えられば末期がんであり、末期がんであれば40歳以上で介護保険のサービスが受けられる。困っているときは地域包括支援センターや身近なケアマネジャーなどに相談したほうがよい。認定結果が出るまでには末期がんであっても最長30日かかるが、認定結果が出ていなくても暫定的に介護サービスは利用出来る(要介護認定の効力は申請があった日までさかのぼることになっている)ので、一日でも早く申請を行い、ケアマネジャーを決めて必要なサービスを早く開始してもらうようにする。当院では地域包括支援センターの協力を得て初診当日にケアマネジャーを決めてもらい、すぐにサービス利用計画をたててもらって翌日に訪問入浴サービスを実施してもらった(それが結局最後の入浴となった)経験がある。がんで亡くなるまでの時間は意外なほど短いので、とにかく早めに準備をすることが大切である。

・病院でのがん治療(特に外来化学療法の実施中)においては、

 ・「がんと診断されたときからの緩和ケア」を行うよう、担当医に働きかけましょう

 ・予後についてきちんと説明するよう、勇気を持って担当医に言いましょう

 ・介護保険申請などの準備は早め早めに行いましょう

・「あとどのくらいですか」と担当医に聞いても「わからない」と言うはずなので質問を工夫すること。「抗がん剤がうまく行った場合はどれくらいですか」「動けなくなると最悪どれくらいですか」などと場合分けすると良い。その「最悪の場合」が実際の余命であると考えて早め早めに行動するべきである。

 

 

在宅看取りと警察取扱死体、アドバンス・ケア・プランニング

 

・スウェーデン、オランダ、スイスなど欧米諸国と日本の在宅死亡率を比較して日本が低いのはオカシイという議論は不毛である。そもそも自我に関する歴史や文化、宗教が異なっているからである。また日本人が「終末期を自宅で療養したい」という希望は「入院が必要になる時まで」の条件付である。日本での病院死が8割もあるのはオカシイと言う主張もあるが、「(いずれは)入院したい」という希望が合計8割なので日本人の希望と結果はきれいに一致していることになる。

・現在、自宅での死亡は全死亡の1割程度だが、実はそのうちの半分(以上)は警察取扱死体であるというデータがある(大阪府岸和田市、多摩地域、横浜市、立川市、横須賀市での横断的調査など)

・内閣府死因究明等施策推進室長は平成30年5月の都道府県医師会の連絡協議会で「日本では孤独死や在宅死が今後増えることが予想されることから、警察医の役割は今後ますます高まる」と発言している。また平成20年から平成26年までの検視官、訪問看護ステーション、看取りをする在宅療養支援診療所の伸びを比較すると、訪問看護ステーション、看取りをする在宅療養支援診療所は1.2倍程度の伸びなのに、検視官は2倍以上に増えている。

・今後は急性期病床が減っていくので回復期病床に早期に転院させられることが多くなると同時に介護施設や自宅での看取りも増えていくと思われるが、現状ではその増加は警察取扱死体の増加によるものとなる可能性が高い。 

・警察取扱死体を扱う検視官(警察官)にも遺族に対する「グリーフケア」(悲しみのケア)の視点が必要だが、そのための研修や研究は活発ではないようである。遺族としては、警察官はグリーフケアの教育は受けていない(期待できない)ことを前提に、一生懸命介護してきて最後は殺人の容疑者として扱われてもショックを受けないような自己防衛の心づもりが必要である。同様のことは遺族だけでなく介護施設の職員にも当てはまる。

・救急要請を受けた救急隊が家族から蘇生処置をしないでくれと言われて困ることがある。救急隊は傷病人に対して救命処置を施しながら病院に搬送するのが職務だからである。しかし最近になり、事前にかかりつけ医から地域のメディカルコントロール協議会に届出がある場合に限り心肺蘇生を中止しての病院搬送を認めるというプロトコルの策定が検討されている(総合病院 国保旭中央病院 救急救命科・救命救急センター&千葉県東部メディカルコントロール協議会 高橋功先生作成のスライド資料をお借りしました)

・有効な事前指示書、アドバンス・ケア・プランニング、「人生会議」には医師の事前の関与が必要または望ましいので、かかりつけ医が生と死についてもっと深く考え、地域包括ケアシステム(2016年版)で強調された「本人の選択」に対しても、もっと医学的な助言をしていくべきである。

・救急車を呼ぶということは「助けてほしい」(=蘇生処置をしてほしい)という意思表示であり、救急車が到着したあとに蘇生処置を中止させるハードルは高い。蘇生を希望せず在宅看取りの方針であるならば最後まで救急車は呼ばず、担当医師に直接連絡するべきである。末期の状態であっても担当医師に直接連絡がとれない、とりにくいのであれば、担当医師の見直しをしたほうがよい。

 

●49歳女性(卵巣癌末期)のケース: 本人の強い希望で大学病院を退院して在宅療養となった。病院医師から予後に関する説明はなかった。当院から2回の訪問診療をしていたが在宅看取りの結論に至っていなかったなかで病状が急変、夫が21時に救急要請。救急車内で心肺停止となり蘇生処置をしながら救急病院に搬送。救急病院では心臓マッサージが機械で自動的に行われ、それをみた夫が申し出て蘇生中止となった。21時半には在宅医の進藤(今回のシンポジウム司会)と訪問看護師の下村(今回のシンポジスト)が病院に到着し病院の担当医との面会を申し出たが回答はなかった。救急病院側が所轄警察署に連絡し警察官が病院に到着したが、事件性がなく在宅医が死亡診断書を書いてよいということで警察官は退出。しかし病院側は院内で他医が書類作成しては困るなどと霊安室で待たせて放置。午前1時になっても病院側の結論が出ないため心肺停止状態のままご遺体を自宅へ運び、自宅で死亡確認。応援に来た訪問看護師も加わってエンゼルケア(死後処置)を行い、在宅医は夫と午前3時半まで故人の思い出話をした(グリーフケア)。

 

→ 病院医師が在宅医から病状の経過を聞いていれば死因が病死であることは明らかであり、警察への届出はせずに病院医師が死体検案書を作成することが出来たはずである。事件性を疑う異状の根拠が明らかではないのであれば警察に連絡する必要はなかった。病院医師自ら死体検案書を作成せず、在宅医が死亡診断書を作成することも拒み、数時間も患者、家族、地域の医療者を放置したことは、法令の理解や生命に対する尊厳の意識、地域の医療資源に対する配慮が根本的に欠如していたと言わざるを得ない。

 

※死亡診断書は「医師の診療管理下にある患者が、生前に診療していた傷病に関連して死亡したと認める場合」に作成し、それ以外では死体検案書を作成する(厚生労働省 平成30年度版 死亡診断書(死体検案書)記入マニュアル

※医師が死亡診断書ではなく死体検案書を作成することと、異状死として所轄警察署に届け出ることは必ずしもイコールではない。死体検案書を作成するべき状況の全てにおいて所轄警察署への届出が医師に義務づけられているわけではない。